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2012,07 05

[転載]笑いの忌明けのために

七里の鼻の小皺 笑いの忌明けのためにより転載。

現在こちらのブログはプライベートモードで見れなくなっているが、この「笑いの忌明けのために」は、およそお笑いについて言及してるブログ記事の中で個人的にこれ以上のものは未だ出会った事がない程の、本当にとても素晴らしい名entryである。
少しばかり古い記事ではあるがお笑いブームが過ぎ去った今こそ、また改めて見直す価値があるとも思い全文転載に至った次第です。

ただのentry数稼ぎという事では全くない!



nanari

2006年M-1グランプリ決勝での、POISON GIRL BANDの変調(ただの緊張でもあるのだろうけれど、それにしても、彼らにしては不用意に言葉が多すぎた)に大きなショックを受けて、しばらくひどく深刻な気持ちにつかまっていたが、ようやく事態を静かに受け入れる心持ちになった。しかし、今回はM-1の抱え込んでいる困難が露骨に現れてしまった大会だったように思われる。そもそも、演じている側も観ている側も、ひどく緊張していて、会場全体が、笑いの起きる空気ではなかったのだ。賞としての権威をもちすぎたということだろうか。そして、現在のM-1の示す困難はそれに止まらない。


この大会は、とくにその初期においては、優勝候補がきちんと優勝することで知られてきた。第一回の中川家、第二回のますだおかだ、第三回のフットボールアワーまではとくに、ほとんど予定調和の観さえあった。正直なところ、既存の漫才大賞の結果をなぞるだけであれば、誰もこのような番組をみる必要がない。優秀な漫才コンビがいくつか存在していることは、みな十分承知しているし、その優秀な漫才師たちが、技術点の取りこぼしがないように、固い面持ちで台詞を喋っているところなど、どうにも嘘ったらしくって、綺麗ぶっていて、観てはいられない。今回の大会にしても、本当の見所は、麒麟の田村(ツッコミの方)が川島に「お前がしっかりせぇよ、麒麟は!」と言う瞬間の温かみだったり、POISON GIRL BANDの阿部(ボケの方です)が、明らかな失敗を自覚しながら、しかし、おそらくはトップバッターであることを過度に意識して選択した新しいスタイルに固執して、ひとつの言葉を過剰に繰り返す(「ぐっちょぐっちょ」)場面の寂しさだったりしたはずなのだが、しかしそうした事件性を、M-1の観客も審査員も受け止められていない。

おそらく、M-1が評価する対象のレンジの狭さが問題なのだ。審査員たちが繰り返す、「漫才として見たときに」という言葉が、この大会をどれだけ笑いの発生の現場から遠ざけているかしれない。M-1の審査員は、意識的にせよ、無意識的にせよ、しゃべくり漫才(話芸のみでコントに入らないもの)を一つの規範として考えている(もちろんそれを逸脱する芸人もこの大会に出場しているが、しかし優勝はできないだろうと予想されているし、その予想は実現してきた)。そのために審査は、しゃべりの技術点の問題、ひどいときにはミスの少なさを数える減点式に陥り、毎年の優勝者たちの顔ぶれは(麒麟や笑い飯の登場といった事件にも関わらず)予想の範疇に見事に収まっている。漫才という領域を、ひどく限定的に捉える言説が存在しているのだ。そして、そのような言説の存在を認めるとき、松本人志がきまり悪そうに審査員席に座っていること自体が、この大会の困難を象徴しているように思われてならない。どういうことやろうか。

M-1の審査員と観客は、しゃべくり漫才の正史を、ひとつの進化史として措定する。彼らは、エンタツ・アチャコから、いとし・こいしに至るまでの過程で、現代の漫才の基本となるスタイルが完成したと考える。そして、その後の漫才の歴史を、ある種の現在性への漸近線として整理してしまっている。現在性とはここでは、「演じていないかのようにして、その場で思いついたかのようにしてしゃべる」という、しゃべくり漫才の理念形に他ならない。したがって彼らは、やすし・きよしがダイマル・ラケットの遺伝子を引き継ぎつつ、しゃべくり漫才のスタイルのなかに、ボケとツッコミが入れ替わる瞬間を導入したことも、また、漫才ブームの際、紳助・竜介やツービートが、漫才の速度を限界近くまで引き上げたことも、大きな事件とは考えないだろう。基本スタイルからのある程度の逸脱も、速度への挑戦も、現在性への漸近の一過程として、つまり、「演じているのではない」というパフォーマンスとして理解される。そのように理解されるとき、漫才はひとつの目的論と化し、技術の体系へと還元されてしまう。そうして彼らは、ダウンタウンが、とくに『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のトークにおいて「漫才を終わらせてしまった」という定説(立川談志さえ遅ればせに認めた定説)を手放しで肯定する。松本と浜田が「ガキの使い」で、本当に台本なしに、「その場で」喋りだしてしまったときに、漫才は演技性を完全に排除し、ついに現在時に追いついたというわけだ。こうして、しゃべくり漫才の正史は、あらかじめ閉ざされている。

あらかじめ閉ざされた体系としての漫才、理念上終焉したと考えられているしゃべくり漫才の正史が、評価の基準として人々の意識ないし無意識に存在してしまっている。これこそ、M-1という大会の抱え込む最大の困難に違いない。


歴史の終焉のムード、物語ることの不可能性のムードが、時代を覆って久しい。現在性・同時代性を目指してすすんできた「物語る方法」が、ついに現在時に追いついたとき、会話があらゆる物語性を失い、現実のなかで霧消してしまったのだなどと、こんな分かりやすい話を、われわれはたくさん見させられてきた。物語る力が、現実に負けてしまう現場に、いやと言うほど立ち会ってきた。そして、漫才についても、同じ予感が世界を覆っている。

現在の漫才が、物語ることの困難に直面していることは、誰の眼にも明らかだ。ダウンタウンが、漫才の演技性を排除し、安易な物語への欲望を閉ざすことで、漫才のポストモダンを最も明確に体現しているというのも、おそらくたしかなのだろう。漫才師たちは、大きな物語を立ち上げられずに、自らの才能をもて余して、ゲーム的なスコア争い、技術点争いを繰り返している(トップレスの時代である)。今回のM-1グランプリにおいて島田紳助が、「細かいテクニックで判断せな仕方がない」と言っていた(麒麟の一本目のネタの審査参照)のは、時代の嘆きでもある。





現在、現在、現在。なぜ、ぼく以外の人々が狂気に陥ったのか、ぼくは説明したいと思っている。

人々は、現在性と演技性とを、現実と物語とを、あまりにも対立的に考え過ぎているのだ。さっさと現在性に軍配をあげてしまったために、誰もが演技性をひどく軽んじ、諦めている(われわれは、諦めないことだけを条件にして文章を交わしてきた)。

ビッキーズが飴を客席に撒き始めたときに、われわれから奪われたもののすべてを、いますぐ返してもらいたいものだ。われわれは、たしかに後退戦を戦っていることを意識しているが、しかしいくらなんでも、そこまで安く自由を売った覚えはない。ビッキーズのボケ(役職ではなく)が着ているあの薄っぺらいハッピは、笑いを安く買い上げる商人の証に他ならない。

あるいはまた、ほとんど同じことだが、『エンタの神様』が、いくつかの青春から奪い取ってしまった光を、われわれは文章をとおして、少しでも取り戻したいと思っている。あの番組によって、何人の若者が、暮れやすい坂道を恐ろしい速度でコロコロと転がっていったか、ご存知のとおりである(坂コロは、別にあの番組のせいでああなったわけじゃないけどさ)。『エンタの神様』がクワバタオハラに対して行ったことを、ぼくは許せない(クワバタオハラのクワバタはこの番組で、なにか過激な真理を暴露しているという結構のうちにしゃべり始め、さらには、その暴露行為を象徴化するようにして、服を脱ぐ素振りを繰り返した。これは完全に仕組まれた「ハプニング」であり、ここまで真理という観念が軽蔑されたことは、テレビ史上かつてなかったように思われる。なおひどいことに、この番組がクワバタオハラを役者として、三文芝居を演じさせたのは、一度ではなかったのだ)。あのようにして、人間を選択不可能な状況に追い込み(『エンタの神様』は、いくつかの経済的な指標を理由に「人気番組」として認識されており、この番組の、五味一男という「名物プロデューサー」の要請を拒否することは、若手芸人にとってひどく難しいことだろう。Wikipediaによれば、かつて一部の芸人は、この番組からオファーが来ることを「赤紙」と呼んでいたと言うが、それは正しい比喩の用い方だ)、制作者の慰みや、テレビの前の数秒の気晴らしのために、ひとつの青春が踏みにじられるとき、そこで生じていることは、はっきりと笑いの逆である。

この番組の行ったことを思い出すと、ひどく気が重くなる。最近では、女子高生芸人、石垣明日花のネタが、あべこうじのパクリと批判され、小さな事件となった。本人はブログ上で、「あれは放送作家やディレクターとの打ち合わせによって作られたものであり、従来の自分のネタとは異なる」といった趣旨の文面を提示したうえ、それを削除しなくてはならなかった。ここで起こったことの、細かい事情はまだよく分からない。しかし、お笑い芸人を目指す少女が、「自分のネタと異なる」ことを演じ、そして、その弁明さえ削除したという事実は、笑いを愛する人々の心を、ひどく悲しませている。日本あざみ党があの番組で、鳥肌実のスタイルをそのまま借りたネタを演じたことも、非常に残念なことだった。というのもこの芸人は、自分が神であるということを両親に報告せずに、あのスタイルを上辺だけ利用しているようなのだ(鳥肌実が、右翼芸のスタイルを採る以前の、以下のネタを参照している:http://www.youtube.com/watch?v=UdAR-eM_XGQ。ちなみにここで鳥肌は、ボクサーという設定でしゃべり始めているのだが、しかしその設定は、最初の一言二言のあとでは、完全に忘れられてしまう。彼の右翼芸の主題の表層性と、その表層性自体のもつ批評性は、ここにすでに明らかだ)。

ようするに、われわれが嫌いに思うのは、この番組が人間を使い捨てにしていくところである。言うまでもなく、サバンナの高橋が引き当てた、犬井ヒロシというキャラクターは、あのような一言ネタの形式に落とし込んで消費すべきものではない(二丁目劇場にサバンナの知的なコントが登場したときに、われわれの感じた自由は、あんなものではなかったはずだ)。にしおかすみこがサディストではなく、時代に翻弄されるドMであることは、すでに疑いがないだろう。というのも、人生の偉大さ、真の武勇伝は、あの番組の外にしか存在しないのである。オリエンタルラジオを、あのように売ってはいけないのだ。実際われわれは、これ以上おばかなテンポに身を任せるつもりはないし、桜塚やっくんの問いかけにも、もう一切答えはしないだろう。あの哀れな「ですよ。」の最近が謝ることばっかなのは、彼がついていないからではなく、彼が五味にしたがっているからだ。「あい、とぅいまてぇ〜ん!」と謝られたところで、容赦できないことが存在するのである(七里エンタ見過ぎ)。

われわれは、ほとんどあらゆることに寛容である。実際、だらしないほどに寛容で、最低限の倫理に反しない限りは、なにも否定せずにここまでやってきた。しかし、人間の尊厳に対する侮辱を、笑いの名のもとに流通させることは、どうしても許されない。この番組とまったく同じ形式で、大量殺戮の映像を「バラエティー」として、人々の気晴らしのために提供することさえできるだろう(歴史が、そして現在が証明しているように、疲れた人々は、戦争を楽しみとして笑うことができる)。そして、そこで掻き立てられる心理は、笑いの逆なのだ。

もちろん、『エンタの神様』はネタ番組ではなく、五味自身の言うように、「ネタ番組の形を借りたバラエティー番組」であるから(あるいは、スポンサーやグッズ販売のためのひとつの窓口に過ぎないわけだから)、あの番組を漫才の現在の問題として扱うのは、端的に間違いということになるだろう。しかしわれわれが問題にしているのは、あのようにして、バラエティー番組に形式的に利用される程度には、漫才が、あるいは芸という観念が、形骸化しているということである。漫才が現実的要請(経済的な要請、そして人々の精神衰弱)のなかに完全に埋没するとき、つまり芸が物語る力を失うとき、形骸化した言葉を利用する商人たちが現れてくる。もう、たくさんだ。

伊集院光は、ラジオ番組『伊集院光の深夜の馬鹿力』において、『エンタの神様』を批判しつづけ、『エンタの何様』というパロディコーナーまで開いている。同番組の、昨年12月18日の放送では、五味一男がこの批判を聞きつけ、伊集院光に人伝てにメッセージを伝えていることが明らかにされた。五味は、「トークショーでもラジオ番組でも、自分以外全てアンチ・エンタを集めた場で討論させてほしい。必ず論破できる自信がある」と、伝えてきたのだという。伊集院は、こういうところがそもそも五味の中学生めいたところだと一蹴した上で、論破とかそういう問題ではなく、話がまったく噛み合わないだろうと指摘する。そのとおりだろう。五味は、彼が著書や講演などで繰り返しているように、視聴率やグッズの売り上げといった経済的な指標によって、自らの立場を保証しようとするだろうが、伊集院は、笑いの現状と、そこにありうる倫理の話をしようとしているのである。この稀代のラジオDJは、五味についての話を短めに切り上げると、一切の説明なしで、日本語ラップのクラシック、プレジデントBPMの 「マスコミュニケーション・ブレイクダウン」をかけた。近田春夫が「最低のTVショー、最低のTVショー」と繰り返しラップする、この名曲を流すだけで、五味への応答としては十分過ぎるということだろう。言葉の死骸を運ぶ商人たちと、話し合う余地はない。彼らが恥じ入るまで、生きた言葉を投げつけるまでである(ところで、「エンタ芸人」の木村陽子のスタイルは、伊集院のラジオの名コーナー「バカニュース」のスタイルから意識的にとられたものではないだろうか。伊集院光は、『エンタの神様』のごく初期、まだあの番組がネタ番組の形式をとる以前に、何度か登場しているし、五味の他のプロデュース番組『週刊! ストーリーランド』にも、しばしば出演していた。ここでは指摘にとどめるが、「ストーリーランド」出演当時の、伊集院光のラジオでの発言を思い返すなら、五味と伊集院が、互いを特別なスタイルをもった他者として意識しあってきたことがはっきりと後づけられるはずである)。

しかし、『エンタの神様』だけが悪いわけではないのだろう。『爆笑オンエアバトル』にしても、『笑いの金メダル』にしても、昨今の「お笑いブーム」を支えるネタ番組はどれも、芸人に新ネタを要求するスピードにおいて、非人間的なところがないわけではなかった。陣内が、NSCの11期生のなかでもとりわけ愛されてきた陣内智則が、これらのネタ番組で、紀要論文を得点争いのために準備する大学院生の律儀さをもって、毎回模範解答を提出していたのをみて、悲しい思いを感じていた人も多いはずだ(陣内、および11期生については、以下のサイトが大変参考になる。われわれの以下の記述も、このサイトからの情報に多くを負っている:http://www006.upp.so-net.ne.jp/thursdayeleven/eleven2.htm)。どうして、過去のネタを切り貼りして、くっつけ合わせてまで、「新ネタ」を捏造する必要があったのだろう。われわれは、あの日に感じた悲しさに対する代償を求めているのだ。笑いは、毎週の「バトル」のために準備されるものではなかったはずなのである。





状況はここでも、悲観しようと思えばいくらでも悲観できる程度には、悪い。しかしそれでも、漫才の可能性がすべて閉ざされたということにはならないはずだ。

物語ることの可能性が尽きる? 冗談ではない! 漫才が現在性に到達したからといって、言葉が現実の重力に引かれたままでいるなどということが、あるものか。演技めいたもの、物語めいたものを嫌う傾向が強まって、現実が創作の世界に大きな影を落としているのだとしても、言語が現実と対峙する力を失うなどということはありえない。舞台上でしゃべることの可能性のすべてが、しゃべくり漫才の技術の体系に落とし込まれるなどということはありえない。われわれが西島大介について、鶴巻和哉について語り始めたようにして、ポストモダンを条件とした漫才について語ることは可能なのだ。われわれは、舞台上でしゃべるということの可能性を諦めない。つまり、しゃべくり漫才の「正史」に、漫才を押し込めてはならない。「一本の毛にいたるまですべてが炸裂する秩序のうちに整えられなくてはならぬ」(アルトー)。漫才史を、炸裂する秩序として記述するための念書のようなものを書きたい。

われわれは、ネタ番組の現状を批判した。しかし、現在のお笑いブームが、ネタブームとして現れたことには、大きな希望をみている。たしかに、キャラ重視の一発芸芸人によって先鞭をつけられたブームではあったが、しかしそれに乗じて、ダウンタウン以降の漫才を指し示す芸人たちがちらほらと現れてきたことも事実なのだ。彼らは、もはやしゃべくり漫才の王道とは離れたところで、既存のスタイルを疑うところから始めて、それぞれに物語る方法を手探りし始めている。彼らの可能性を、たとえM-1が拾えなかったとしても、そうなのだ。われわれは彼らの可能性、笑いを更新する可能性を、ひとつずつ拾い集めてみたいと思っている。

そして、そのためにはまず、現在の笑いの条件を、明確にしておく必要があるのだろう。おそらく喫緊であるのは、ダウンタウンの残した影響について、詳らかにしておくことだ。松本人志、笑いの喪。しかし彼の本当の天才性は、この喪のあとに為すべきことさえ、教えてくれたことではなかったか。


ダウンタウンが誰よりも明確に、漫才のポストモダンを示してしまったことは、すでに確認した。歴史的な事実も、その評価の妥当性を保証してくれるだろう。というのもダウンタウンは、徒弟制度によってではなく、吉本の養成所、吉本総合芸能学院(NSC)によって教育されることによって、伝統の継承という問題から切り離された形で生まれた、最初の世代の芸人なのである。

彼らは、トミーズやハイヒール、内場勝則らとともにNSCの1期生として学び、やがて、1986年にオープンした心斎橋筋二丁目劇場を中心に活動を始める。二丁目劇場は、伝統あるうめだグランド花月劇場に対する、明確なアンチとして、若者向けの劇場として構想された。この若い劇場の存在が、ダウンタウンのイメージ上の「新しさ」に、大きく寄与したことは疑いない。それは、おそらく彼らの服装一つとっても明らかで、スーツではない格好で(つまり、自分の選択したスタイルで)舞台に上がるということさえ、二丁目劇場の存在なしには容易ではなかったはずなのだ。初期のダウンタウンは、NSCや二丁目劇場といった、新しい物理的条件のなかで、花月の新喜劇に出演している若手や、師匠をもつ芸人と、自分たちとの差異を、明確に表現できたわけである。

やがて、二丁目劇場を舞台として、ある若手芸人たちのトライブのイメージが形成されていく。それは、徒弟制度という上下関係によって培養される、「成長途中の若手芸人」たちには見られない、横の人間関係によって成り立つ新しい芸人のイメージだった(多少の年齢差や立場の差はあっても、そこにあるのは師弟関係ではなく、流動的な「横」の関係性である)。ダウンタウンは、この若手芸人たちのトライブの、初代のボスに収まる。1987年4月、毎日放送の関西ローカル番組『4時ですよーだ』が始まると、このトライブのイメージはさらに明確な像を成し、関西の若者たちの心を捉えることになる。

おそらくダウンタウンにとって好都合だったのは、彼らにつづく才能が、同期にではなく、少し下の世代に次々と現れてきたことである(同じ1期生のハイヒール、おかけんた・ゆうたらも、二丁目劇場の出演者ではあったが)。二丁目劇場は、当然この下の世代を次々に取り込んでゆき、ダウンタウンをボスとした集団のイメージは、ピラミッド型に裾野を広げていく。もっとも重要な才能だけを列挙するなら、第二期の吉田ヒロ、第四期の今田耕司、130R(板尾創路、蔵野孝洋)、さらにNSC出身ではないが、東野幸治、劇場の裏方出身の木村祐一、リットン調査団らが、第四期に少し遅れて吉本に入ることになる。こうして、「二丁目軍団」と呼ばれる集団性のイメージが完成するのだ。

ここで形成された集団のイメージは、たとえばドリフターズのようなグループのイメージとも、また「ひょうきん族」のような、番組を核とした結びつきとも異なる。「二丁目軍団」において何より特異だったのは、彼らが普段からつるんでいる仲間であり、彼らにとっては、劇場での生活と日常生活の境目が、極端に小さかったということだ。二丁目劇場に集った若者たちは、劇場と自らの生の次元を大きく区別せずに、自らの好きな格好で舞台に上がる。この芸と生との距離感は、そのまま、舞台と客席との距離を近づける力となる。おそらく、こうしたことを理解しなければ、『4時ですよーだ』の最終回におけるダウンタウンの号泣の意味も、はっきりとは理解できないだろう。彼らは東京進出によって、この番組を、そしてこの番組と劇場のなかで育まれた密接な人間関係を、捨て去らねばならないことを泣いていたのである。

いずれにせよ、こうしてダウンタウンは東京に進出する。そして彼らは、この芸人のトライブのイメージを、テレビに乗せて全国に輸出していったのだ。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』(1989年-)や、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1991-97年)において、彼らがいかに多くの若手を関西から呼び寄せて登用したか、思い出しておこう。これらの番組をとおして、東京における「ダウンタウン軍団」の像が、しだいに浸透していくことになる。『かざあなダウンタウン』(1995-96年)などは、この軍団の存在感のみによって成り立っていた番組で、そこには妙なライブ感、生に近しいという意味におけるライブ感が宿っていたように思われる。こうした番組をとおして熟成されていった若手芸人の集団のイメージは、ひとつの青春の姿として、生の可能性として、大きな憧れとともに受け入れられていった。

実際、「ダウンタウン軍団」の一員となることを、あるいは、同じようなトライブを形成することを、どれだけ多くの若者が夢見てきたかしれない。若手芸人、さらにはその予備軍にとって、松本およびその周辺の人物たちは、生の水準において、つねに特権的な存在でありつづけている。「ダウンタウン軍団」は、笑いと密接に結びついた生の模範形として、現代の若手芸人像に決定的な影響を与えているように思われる。


ダウンタウンの新鮮な集団性のイメージ、そして、その集団のなかで育まれる、生と笑いの密接な関係性は、そのまま彼らの笑いの特性となっている。分類しつつ考えてみよう。

第一に、ダウンタウンの笑いは、集団的な生に深く根ざし、その集団性のイメージをしばしば効果的に利用する。「ガキの使い」を見る人は、そのレギュラー陣の醸し出す活き活きとした空気感に、強く惹かれずにはいられない。われわれはいつしか、浜田の臆病さや、山崎の遠藤への愛、田中の緊張癖、遠藤のたしかな成長と多少の増長、そしてそれらを笑うゲラの松本の、その傍にいる自分を見いだす。あの数々の「裁判」は、彼らの芸人としての質ではなく、彼らの育む生の次元へと、われわれを導いてくれたはずだ。
彼らの集団性、そこで表現される彼らの関係性こそが、その愛すべき、そして同じことだが、その笑うべき性格の近くへと、見るものを引き付ける。山崎の存在は、笑いの水準だけではなく、生の水準において、あの番組に必要不可欠なのだ。だから山ちゃんは、けっしてやめはしないだろう。実際われわれは、今年の大晦日、千秋が遠藤を「おにい」と呼んだあの瞬間を、磯部涼とともに待ちつづけてきたのではなかっただろうか(『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』338頁参照:「ココリコ遠藤ミーツ千秋といった感じの」)。そしてわれわれは、いつしか浜田の優しさを、心から信じている自分を見いだす。たとえば、「大学合格なるか?」の回や、「超魔術」の回(http://www.youtube.com/watch?v=3evX1nMOtws)などにおいて、浜田がどの程度まで松本の嘘を許容したか、思い出しておこう。浜田は、松本が受けていない大学に受かる可能性を信じ、そして、松本の起こしうるあらゆる魔術を信じる方法を、山崎やココリコを介して、われわれに教えてくれているのだ。そして、なによりも、あの伝説的な「24時間耐久鬼ごっこ」における、食料の分配の場面!

このように、芸人のトライブのイメージを作り出す方向性で、最近大きな成功をみた番組としては、『内村プロデュース』が挙げられる。この番組は、内村光良という芸人のオーラを、さまぁ〜ずの優秀さや、ふかわりょうのキャラを梃子として再生させることに、ある程度成功している。とはいえ、「ガキの使い」ほどに緊密な集団性のイメージを生み出した番組は、例がないだろう。ちなみに、ダウンタウンの新番組『リンカーン』は、このトライブのもつ歴史性の問題を捨象してしまっている点において、大きな誤りを犯している。「ガキの使い」は、また同程度ではないにせよ『内村プロデュース』も、芸人のトライブ的空間を生み出すための熟成期間を意識してきた。集団性を生み出すには、歴史が必要なのである。ところが『リンカーン』は、そうした歴史性を度外視して、多文脈の芸人を一堂に会させてしまう(それは麻雀マンガで言うと『覇王』のような、異種格闘技的発想に基づいている。この番組が、『笑いの祭典ザ・ドリームマッチ'05』という、芸人コンビをシャッフルして新しいコンビを結成させる異種格闘技的番組を、ひとつの出発点として企図されたことは、きわめて示唆的である)。したがって『リンカーン』の空気は、どこかよそよそしいものとなるだろう。たとえば「フレンドリーダウンタウン」という名物企画は、そこに集った芸人たちとダウンタウンの距離を、一足飛びに、強引に結びつけるためのレッスンなのである(あるいは、あの「パイ投げorキス」で大竹が、「そんなに浜田さんとの距離は近くないぞ」と言い放ったことを思い出してもいい)。


第二の特性。これは、いままでの記述と重なるところの多い問題だが、ダウンタウンは、笑いを生の次元を視点として立ち上げる。見ているわれわれとしても、彼らの演じる意味内容よりも、演じている彼らの生きた身体、その彼らの空気感に目線を合わせることになる。「ガキの使い」を見る人は、「いつもの楽屋」から始まるコントの内容よりもむしろ、もっと明らかに、コントを演じなくてはならないという彼らの意識の動きを笑っているはずだ(たとえば遠藤が、病気の子供や、引っ越していく子供の前で、延々とビートたけしのものまねを演じているとき、われわれは、遠藤のものまねの質ではなく、その状況を笑っているのだ。遠藤がたけしのものまねを、そのバリエーションと可能性が尽きてなお繰り返すとき、その消尽の果てに暴かれるのは、ものまねを演じている主体の現実そのものだ:http://begrn.blog92.fc2.com/blog-entry-223.html)。そうして彼らは、人を笑わせることと、自分が笑うこととの間の差異を考慮する必要性を、正しく失っている。面白い意味内容を提示することよりも、面白いという感情を、集団性を媒介としてテレビの向こう側へと伝えていくことが、そこでの問題となる。だからこそ彼らの最高傑作は、部分的に古びてしまったコントではなく、「ガキの使い」における彼ら自身の笑いなのである。

この生の水準の強調は、ダウンタウンの最初期から一貫している問題であるように思われる。松本が、横山やすしの「チンピラの立ち話」というダウンタウン批判に拘りつづけたことは、よく知られている。この批判をほとんど神話として仕立て上げ、それを逆手に取るようにして、「ガキの使い」のトークという「立ち話」を、漫才のつねなる最新形として提示しえたことが、やはり漫才師としてのダウンタウンの到達点であろう。そしてそのスタイルは、現在に至るまで変わっていない。松本人志は、漫才にしてもコントにしても、台本を書くということはほとんどない。ただ、トークやコントの流れを、出演者に説明するだけだ。そして、あとはその場の雰囲気をみながら、即興的な演出をほどこしていく。この手法は、彼の変わらぬ、現在性・生への信頼の上に成り立っている。笑いから演技くささを取り除き、笑いをつねに現在性から立ち上げていく方法を、松本人志はさまざまに開発しているのである(「ごっつええ感じ」の「ボケましょう」は、分かりやすい事例だろう)。だからこそ、『VISUALBUM』や『佐助』などで、世界を作り込もうとするときに、彼は失敗するのである。


もう一点だけ、ダウンタウンが現在の笑いに与えた影響を指摘しておこう。現在性から笑いを立ち上げていく以上、当然の帰結ではあるが、松本は、言語のもつ異物性を強く意識するのである。言語が物語を構築するという、安定した演技のシステムを疑う松本の視線は、畢竟、言語の物語るシステム自体を懐疑するに至る。そのとき、言葉は意味と結びつくことなく、異物として存在し始める。

ダウンタウンの、漫才師としての代表作、あの「クイズネタ」を思い出そう(http://www.youtube.com/watch?v=Haz4t_A2uQM)。あそこで松本は、「太郎くんがお花屋さんに行きました。さてなんでしょう?」と浜田に問いかけていた。答え得ない問いが提示されることによって、問いと答えの幸福な結合からなる、クイズという形式が揺るがされている。しかし問題は明らかに、クイズという結構への懐疑に止まらない。松本はさらに、この種の問いを増殖させるだろう。「花子さんがお風呂屋さんに行きました。さてどうでしょう?」。彼の自由な問いかけは、言語によって応答しえない世界があることを、言語によって垣間見せてしまう。クイズという形式に則って、通常の言語を用いるだけで、およそ解答しえない問いが異物として生じてしまうこと。ダウンタウンのこの一ネタが人々を驚かせたのは、そこに、言語のシステムに対する根本的な転覆力が秘められていたからに他ならない。

彼が、90年代後半の一時期、「このように」という言葉に、奇妙な期待をかけていたことも思い出される。それは、混乱した状況の全体を一語で概念化し、批評的な視線を導入するという、言語の結晶化の力に対する強い意識の表れであろう。あるいはまた、初期の彼らの出世作のひとつ「『あ』研究家」も、言語の異物性に踏み入っていると言えるだろう(http://www.youtube.com/watch?v=Jxt0ZC5tE64)。ここでは、「あ」という一語が、無数の意味を負ってしまうこと、そしてその他の語(たとえば「フィリピン」)と、交換可能になってしまうことが、示されている。実際松本人志は、「あ」研究家、言語の探求者そのものとして歩んでいく。彼ほどに、日本語に影響を与えた芸人はいなかったはずだ。「ごっつええ感じ」の全盛期、ダウンタウンのオーラが、いまよりももっと特別なものだった時代、若者たちの言葉は、明らかに松本人志の語彙によって、大きく左右されていた(高校時代のぼくは、猫も杓子も、「ブルー」だとか、「寒い」だとか、「ドS」だとか言うのを聞いて、嫌な気持ちになった。ひとりの人間によって、日常言語が簡単に動かされ、語彙が制限されていくことが、どうにも気持ちが悪く、当時のぼくはダウンタウン嫌いを公言していた。こうしてダウンタウンについて文章を書いているのは、自分としては意外である)。松本の用いる特異な言語は、一発芸芸人たちの「流行語」のように消費されるものではなく、どこかで異物性を保持したまま、現代日本語に根を張っている。

このような、異物としての言語を流通させる場として、ダウンタウンの集団性が大きな役割を果たしたことは、想像に難くない。松本の特異な言語は、そのまま他者にぶつけられたのでは、理解されずに終わるだけだ。しかし、ある集団性を媒介とすることで、われわれはその異物としての言語の受け取り方、利用法を学習することができる。ダウンタウンの抱える集団は、特異な言葉を醸成し、言語の秘密を暴露する場所であり、そして、異物として姿を現した言語を流通させるための実験場なのだ。少し専門的な話になるが、「ごっつええ感じ」の「10万円分食べよう! 第二回ミスタードーナッツ篇」で、板尾が浜田に対して「あいつSやねん」と言い放ち、松本がそれをひどく喜んでいることが、最近ダウンタウン研究者たちの間で大きなトピックになっている(あるいは最近七里の独り言が増えている)。MやSという単語を日常語に持ち込んだのは松本だ、ということになっているが、しかしその端緒のところで、板尾が大きな役割を果たした可能性については、十分に検討されてこなかった。いずれにせよ、言語を発生させる場として集団性が要請されていたことはたしかだろう(うすた京介のマンガも、この集団性と言語の誕生の問題について、大きな示唆を与えてくれる。『すごいよ!! マサルさん』のセクシーコマンドー部の面々が、彼らの挨拶を選んだとき、三つの候補のなかから唯一通常言語を逸脱した「クリンナップ・クリンミセス」が選び出されたことの意味は、まだ検証し尽くされてはいない。『ピューと吹く! ジャガー』における、ジャガーとボギーの交わす詩論・言語論とともに、考え直すべき問題である)。

松本人志が、個々の場面において、いかに一つの言語に大胆に賭けてきたか、われわれはいつか、彼のモノグラフィーを描くことで、明らかにしたいと夢見ている。こんな実践的な状況論ではなく、そうした穏やかな仕事ができる日を、夢見ずにはいられない(またそんな日は、来んだろうか...来んだな?)。さしあたりいまは、阿部嘉昭『松本人志ショー』を羨みつつ、この後退戦を越えていかなくてはならないのだろう。ただひとつだけ、以下のコントを参考として置いておこう。松本がここで、「経る」という一語に期待したような強さを、われわれも自らのテクストに期待していかなくてならない。依然として問題は、言語によって笑いの窮状を経つづけられるかどうかに係っているのだ。




あえて悲観論に陥る必要がないことは、すでに明らかだろう。松本人志の示した方向性は、おそらく間違っていない。つまり、まずわれわれは、笑いの演技性を徹底的に破壊しなくてはならなかった。嘘だらけの安易な物語には耐えられない。そうしてわれわれは一度、現在性に到達した。しかし、それが歴史の終わりではなかったのだ。松本が示していたのは、現在性を基盤として、新たに物語を立ち上げていく力学である。そこで彼が利用したのは、「集団性に基づいた生のイメージ」と、「チンピラの立ち話」という、二つの新しい神話であった。これらの神話を基として、生の次元から、立ち話の即興生の次元から、新しい言語の冒険を開始すること。ここに、ダウンタウンの物語の作法の新しさがあったのだ。

そして、このダウンタウンの再出発につづくようにして、多くの若手芸人たちが、新たなネタの可能性を求めてそれぞれに旅立つことになった。彼らは、多くの場合、いまだそれぞれの道の半ばにあって、いまは、その旅路のすべてを詳らかにするときではないようだ。さしあたり、もっとも遠くまで行っている人々の姿を確認しておくに止めよう。


千原兄弟。この兄弟芸人に賭けられていた期待の大きさを、当初東京の人々は理解できないでいた。一時期、彼らは流通経路を失いかけ、われわれは東京の無理解を恥じたものだ。問題は(『リンカーン』の示すように)東京のテレビ番組が、致命的なまでに歴史的視線を欠いていたことである。

東京進出以前から、大阪の笑いの歴史において、千原兄弟はすでに特別な存在であった。大阪がこの兄弟に見ていたのは、ダウンタウンの影に違いなかった。というのも千原は、ダウンタウンの去った二丁目劇場で、ダウンタウン軍団とは別の人間関係を築き、そのボスに収まった、最初のコンビだったからである。ダウンタウンが、NSCの6期生である山崎邦正までを自らの軍団に取り込み、東京へと進出していった後、劇場は明らかに、8期生の千原兄弟のものであった(次代を担うはずだった、7期のベイブルース河本の急死により、ボスの座がふいに転がり込んだ形であった。また、ダウンタウンのいなくなった二丁目劇場の、客の反応のあまりの悪さに、ぜんじろうが腹を立てたことをきっかけとして、吉本印天然素材が結成されたことも、千原体制を盤石なものとした原因として挙げられるべきだろう。というのも天然素材は、雨上がり決死隊(7期)やFUJIWARA(8期)、バッファロー吾郎(8期)、ナインティナイン(9期)などなど、7期から9期の主要なメンバーをごっそりと引き連れて、東京に進出してしまったのである。二丁目劇場に残された才能は、千原の同年代にはそう多くなく、実際、副官とも言うべき地位に着いたのは、千原兄弟と二年離れた、10期生のジャリズムであった。初期の二丁目劇場は、8期の千原、スミス夫人、$10、そして10期のジャリズム、メッセンジャー、シェイクダウンあたりを中心として、ダウンタウン以後を開始した。そこに、層の厚い11期生(高僧・野々村、G☆MEN’S、ハリガネロック、中川家、たむらけんじ[LA LA LA]、陣内智則、ケンドーコバヤシ[モストデンジャラスコンビ]、堂土貴[ルート33]、みのなが、トクトミトコナミなど)が加わり、千原軍団のイメージが形成されていくわけである。

この後の千原兄弟の、関西圏での爆発的な人気と、東京進出後の長い不遇(深夜のチケット情報番組兼バラエティーで、「お笑い<チケット情報」と手紙に書いていた千原ジュニア、料理番組と化した早朝のバラエティーで、納豆をコンビニに買いにいきながら、「誰かに怒られるんじゃないか」と口走ったジュニアなど、すべて悲しく覚えている)については、ここではとりあえず触れずにおくことにしよう。ただ、指摘しておきたいのは、こうした歴史的な記述が、お笑いについて考察する際に、きわめて重要なものだという事実である。横の関係性によって生じるトライブが、若手芸人の生のイメージとして、大きな意味をもっていたことは、すでに記したとおりだ。だからこそ、ダウンタウン以後の芸人たちについて理解するためには、彼らの実際の関係性をある程度跡づけ、その生の次元から考察を開始する必要があるように思われるのだ。

たとえば、たむらけんじ(たむけん)の存在などは、歴史的な視線なしには理解できないものだろう。彼が、関西ローカルの年末の定番番組『オールザッツ漫才』で、2002年から一貫してやりつづけている、「陣内死ね」というネタが、面白いか否かは措いて、少なくとも許され、ネタとして成立している理由について、あるいはまた、2004年の「陣内死ね」ネタのあとで、11期生最大の才能であろうケンドーコバヤシが、たむけんに掛けた、「過激なくらいおもんないなそれ」という言葉のなかに潜む愛について、正しく理解するためには、おそらく彼らの歩んできた歴史を参照する必要があるはずなのだ(簡単に触れることしかできないが、つまりたむらけんじは、11期生たちのリーダーだったのである。とりわけ、芸人たちがやりたくない仕事をやらされそうになったとき、二丁目劇場の主任に率先して直談判に行った話が有名である。陣内とケンドーコバヤシのラジオで、11期生同窓会が行われたとき、たむけんの東京進出の話になり、「本当は大阪に帰って来たいのでは?」といった真面目な相談が行われたことがある。「でも、今更大阪に俺の居場所なんてない」と、「都落ち」への恥じらいとともに語るたむらに対し、陣内とコバヤシは、東京で失敗して帰ってくることは恥ずかしいことではないし、帰って来たら嬉しいと、口々にたむけんを励ましていた。「一般的にはbaseよしもとのリーダーと言えばFUJIWARAかもしれないが、自分たちの中での本当の意味での『リーダー』は、後にも先にもたむけんだけだったから...」という彼らの言葉は、嘘ではないのだろう)。とはいえ、歴史的な背景によって保証されていたはずの「陣内死ね」ネタも、陣内の右肩上がりの「成功」を受けて、年々社会的な正当性を増してきているようなところがある。昨年末の、藤原紀香との結婚の問題も絡めた批判などは、むしろ倫理的に適切なものであったようにさえ思われる。


千原兄弟の話であった。千原の、芸人としてのセクシーさは格別である。たとえば、1996年のツアー『金龍飛戦』における、「自殺未遂」(これは、1998年のライブビデオ版には、ジュニアの当時の証言を信じるならその過激さ故に収録されていない)。ここで千原ジュニアは、一人の自殺志願者を演じる。彼は、ラジコンの車を自ら操縦し、それに轢かれてみせる。さらに、ポットの下に仰向けに寝転び、ポットから水を出し、口を大きく空けて溺死を試みる。それが叶わないと、すぐに起き上がり、ポットの上から飛び降りて投身自殺を図る。彼はその後も、さまざまな方法で、ただし死に至る危険のない方法で、つぎつぎと自殺未遂を図っていく。そして、ついに彼は一本の包丁をみつける。これは、死に至ることのできる道具である。彼は、ほとんど恍惚の表情を浮かべて包丁を裏返し、柄の部分を自分の額にコンコンと叩き付けつづける。舞台は暗転し、テープの音声が流れる。「彼の口癖。三位、死にたい。二位、絶対死んでやる。一位、殺す気か」。ジュニアの、若い絶望感漂う演技と、死ぬ気もなくきっと生きていくのだろう自分への、自嘲を込めた明るい居直りとが溶け合って、奇妙な強度をもった舞台となっていた。

その後も、『右から2番目の星に住む迷子達の声』(1997年)、『PINK』(1998年)といったライブをとおして、千原兄弟は、コントの精度を高めていく。実は、彼らのこの方向性は、ラーメンズと同じ、演劇性の袋小路に通じていたようにも思われる(ぼくは、2003年に行われたライブ、『プロペラを止めた、僕の声を聞くために。』をあまり買わなかった)。つまり、シチュエーションコントとして優れていたものが、その演劇性の精度を高めていくなかで、むしろ穏当な実験演劇の一種として回収されてしまうという事態である。そこでは、芸という観念が輪郭を失い、芸人による反復可能性の高さといった利点も含めた、「ネタ芸」の愛らしいコンパクトさが、すっかり消滅してしまう。

東西の、最重要の若手芸人である、ラーメンズと千原兄弟が、そろって同じ袋小路に一時期入りかけたことは、現在の視点から見ると、とても興味深いことである。彼らの示した回答は、はっきりと異なるものだった。ラーメンズは、芸人であるという拘りを早々に超えて、芸人のコントと舞台芸術という区分を無効化するような、独自の居場所を穿つことに成功した。その意味で、『ATOM』(2002―03年)所収の「新噺」ほど、彼らの立場を明確に示すコントもないだろう。この作品において小林賢太郎は、落語という切り詰められたピン芸を演じながら、そこにコントの規則をもち込み、落語とコントの文法を意識的に混交させていく(落語を相対化するこの態度は、ほとんど立川談志の名とともに考える他ないほど、本質的なものだ)。たとえば小林は、コントの規則にしたがって、居ないはずの人物を形象化するために、彼らと肩を組んでいるようにして歩いてみせるのだが、舞台に設えられた高座の上に立つと、落語の文法を思い出し、つまり人物を形象化する身体的な演技を捨てて、肩を組んでいるように見せていた腕を、しずかに畳んでいくのである。不死鳥の羽ばたきのように畳まれていく小林の両腕は、ジャンルのしがらみを飛び越えていく強さをたたえていた。

一方で千原兄弟は、なんとか演劇化の欲望を食い止めつつ、あくまで芸人の臨界線に立ち止まっているように思われる。むしろ最近の千原ジュニアは、『―詩―05TOUR』(2005年)における詩の朗読の試みや、『囚』(2003年)のような(やや松本の「一人ごっつ」の影が強い)一人大喜利の舞台をとおして、芸人としての反射神経の問題、および、最も根源的な言語の問題への関心を、改めて高めているようである(もちろん、コントの探求もつづけられているが)。たとえば、『囚 040229』(2004年)の「『何で変えてんっ!?』の時間」は、見事なスマッシュヒットだった。ここでジュニアは、既存の歌謡曲(「なごり雪」)の歌詞を、その意味内容をまったく変えずに、しかし一言一句に至るまで、すべて作り替えて歌っているのだ。意味の水準とは別に、言語の物質性の領域を意識しつづけた芸人ならではの傑作である。このジュニアの最近の傾向は、松本人志の言語の冒険をただしく受け継ぐもので、「虎の門」の「しりとり竜王戦」や、板尾の再評価の流れと合わせて考えていいのだろう。


糞を喰らってなお、われわれは東を目指す。ここまで、歴史的な視点の重要性を強調してきたわけだが、ラーメンズを筆頭とした一群の関東の芸人について考える際には、構造的な分析の有効性を予感せずにはいられない。ラーメンズのコントは、構造分析を待っているかのように、見事に秩序づけられている。同様のことは、程度の差こそあれ、バナナマンとおぎやはぎについても言えるだろう。いずれにせよ、こうした芸人たちのハイレベルなコントは、集団的な生のエネルギーに満ちた関西の芸人たちとは別の仕方で、ある種の洗練に到達している。

われわれの愛するアンタッチャブルについて考える場合にも、おそらく構造的な視線が役に立つだろう。彼らは、しゃべくりからコントへと入る瞬間に、しばしば恥じらいを示してきた。しゃべくりの理念としての現在性を外れ、ある種の演技性を呼び込むときに、彼らはそっと羞恥の心を覗かせる。漫才の理念としての「しゃべくり漫才」を超えるときの、このストレスの表現は、われわれにとって、きわめて興味深いものだ。関東のもっとも敏感な漫才師たちはしばしば、その羞恥を超えてさえ呼び込むべき物語があるということに、はっきりと自覚的だった(フォークダンスde成子坂からアンタッチャブルへといたる系譜を想定し、しゃべくり漫才からの偏差を変数とした関東漫才史を描くことも、意義のあることだろう)。

ぼくは、関東で生まれたことを必要以上に恥じてはいない。われわれがPOISON GIRL BANDに感じている期待を、いま、はっきりと言葉にしておくべきだろう。吉田のつっこみが、どれだけ多くの間違いを、どれだけ優しく許容してくれているか。あれほど現代的なつっこみもない。2004年のM-1グランプリ決勝の「中日ネタ」を見返しておこう。

われわれは、こうした作品に封じ込まれた明日を正しく取り出すために、批評の言語を覚えたのだ。吉田はここで、阿部の間違い(ボケ)を、ほとんどどこまでも許容していく。彼らは明らかに、「漫才の型ができる以前の漫才」(POISON GIRL BANDのインタビューより。『QJ』59号、2005年、114頁)へと到達している。中日という野球チームを、帽子を被った人々の集団へと読み替えていく阿部を(一般的には、間違いと言われ、退けられる彼の独断専行を)、吉田は止めないだろう。そのようにしてしか取り返せないものに向けて、彼らは言葉を組織し始めているのだ(タカ&トシが、同じ間違いを延々と繰り返す権利を開いてくれていることも思い出される)。吉田はむしろ、中日の選手たちは「帽子のサイズは合わせていこうぜっていう[中略]そのもとに集まった」のだと、豊かに間違いを膨らませてくれるだろう。「(帽子の)サイズが合ってんだもんな」と二人が声を揃えて言うとき、そこでは、つっこみという規範、訂正の声が、ボケの自由と見事に折り重なっている。規範的言語、他者性が、われわれの夢と重なること。ここに、ひとつの楽園の可能性が開かれている。人類の間違いが、もうおそらく取り返しのつかないところにまで達し、理性的な訂正の声が、ほとんどどこにも届かないように思われているとき、吉田の優しさは、世界の狂気とつきあっていく、ひとつの方法としての許しを、われわれに開示しているのだ(今回のM-1でぼくが最も感動したのは、阿部が吉田に、「お前は優しいなあ」と漏らした場面であった)。

しかし、吉田はすべてを野放図に置くのではない。彼は、すべての間違いを見過ごそうとしているわけではないのだ。決定的な間違い、それを許容してしまうと取り返しがつかなくなる間違いに対してだけは、彼はそっと引き返しの道を示してくれる。彼は、われわれの欲望が、中日をミルクと混ぜようとしたり、あるいはつぶつぶ中日を欲したりするときには、その行き過ぎを優しく諭してくれるだろう(しかも、訂正するときにさえ、その間違いの豊かさを、彼はけっして否定しない。つまり、以下の言葉。「つぶつぶ中日はね、まだ売ってないと思うよ。まあ、売ってたら買うけどね、すぐ。それは買い占めるけどね」)。そして、最も基本的な認識さえ失ったわれわれが、「じゃあ、中日ってなに?」と問うときには、「野球チーム」と、踏み外せない一点だけをそっと教えてくれるのである(彼らが『エンタの神様』で演じた「ゆめちゃんシリーズ」も、やはり許しの物語である。あそこで阿部の演じたゆめちゃんは、およそ何もかもを誤ってしまう少女だ。彼女の間違いを訂正しようとする吉田に、ゆめちゃんは怒り、逃げるように帰ってしまう。そして、吉田は今度は無限に許すために、彼女を追い掛けていくのである)。


われわれは、考えるばかりで、感じることが少な過ぎる。漫才のもつ過剰性を、人はいつから見失ってしまったのか。「笑い飯の解体作業、その場でネタを思いついたようにしてボケを奪い合うスタイルは、ダウンタウンの真の即興性に比べて、不徹底だ」といった類いの、世界を縮小する言葉が、大手を振って横行している。漫才の本質を措定しようとする世界を呪うための方法を、ここにはっきりと刻み付けておこう。状況を裂き返してやるために書いているのだ。愛すべき芸人たちは、現実に存在している。われわれは、松本・板尾・千原ジュニアといった危険な芸人の系譜の直系に位置する、ザ・プラン9の「お〜い!久馬」を、彼のシェイクダウン時代と変わらずに愛している。ストリークの野球への愛(http://www.youtube.com/watch?v=F4HCmFpHT5U)も、立川真司の電車への愛も愛している。G☆MEN’Sの幼児性(http://www.youtube.com/watch?v=dCV6lnDbnuk)を、麒麟の過剰さ(声、知性、スーツのサイジングの上手さなど)と同時に愛しているのだ。どのように惨めな敗北主義が横行しようとも、M-1が麒麟や笑い飯のための大会であるという事実は変わらない。世界。ぼくは、新年会で友人たちに披露するために、落語「崇徳院」の練習をつづけている。むかしプラスチックゴーゴーのネタのなかで、南郷が、「明日が見えるか」とわれわれに問うたことがあった。若手芸人たちの星座が、辛うじて照らし出してくれた明日を迎え入れるために、この文章は閉じずに、無限に開いておくことにしよう。この文章を、足立守正の文体に捧げる。野性爆弾の声が聞こえる。「そもそも靴とは、履くという概念ではなく、履かせていただくという概念で、歩んでいこうではないのではないだろうか」。われわれはこの前進の呼びかけに、全面的に賛同したのである。



※:リンク切れのURLは削除させて頂きました。

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